SSブログ

千両みかん [落語]

近頃は落語を聞きながらお絵描きするのが楽しいです。
落語は「言葉」なので仕事中や読書中に流しておくのには向かないのですが、お絵描きは言語野を使わないので邪魔になりません。

甥っ子や姪っ子が小さかった頃、静かに抱っこしているよりも、その場にいる誰かと話している方が寝付きやすいように感じた。
人の声の響きというのは時によってはうるさく感じるものだけれど、安心感や心地よさを感じさせるものでもあると思う。
ましてや名人と言われる人々の声の調子は聞いていて本当に気持ちいい。

圓生、志ん生、文楽、志ん朝、小三治あたりの定番の噺を聞くことが多いです。
同じネタでも噺家によって違うし、何度聞いても面白いものは面白い。

最近、誰のだったかは忘れましたが「千両みかん」を聞きました。
病みついた若旦那のために番頭さんが真夏の江戸でみかんを探しに行く話です。
みかん問屋の蔵でようやく見つけたたった一つのみかんは、お値段なんと千両。
それは高すぎると驚く番頭さんに、あなたも商売人ならわかるでしょう、とみかん問屋の番頭は言う。
真夏にみかんを求めてくる人は数年に一度、いや十年に一度くらいのものでしょう。
ですがそういうお客様の求めに応じるために、我々は毎年、蔵を一つ潰してまで、ほとんどが腐ってしまうみかんをこうして残しておくのです。千両は決して高いとは思いません、と。

余韻の残る絶妙なサゲまで本当に良くできたお話だな、と思います。
この動画にこんなコメントがついていた。

「話としては面白いけど、商売人だったら腐らせる前にみかんを売ると思う」

おまえは番頭さんの話の何を聞いていたのだ、と驚いてしまった。
スマホの画面上で展開される短文のやりとりばかり見ていたら、私もいずれは落語が理解できなくなってしまうのかもしれない。
時代の流れとしてそれはそれで適応できているということなのだろうけれど、なんとなく恐怖と寂しさを感じる。

ということで、ささやかな抵抗のひとつとしてブログも定期的に書き続けていこうと思いました。




コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。