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セルフ・コンパッション [本]

「セルフ・コンパッション[新訳版]」 クリスティン・ネフ



以前から気になっていたのだけれど、お値段がそれなり(kindle版で3,366円)なので気軽に手を出せないでいた本。
GW中に久々に辛いウツモードが発動して色々と対策を探していたところこの本の紹介を見て、ついに買って読んでみることにした。
結論から言うと、読んでよかったです。
全体的に冗長なのと、横書きが読みにくいという難点はあるものの、セルフ・コンパッションという概念と、それがいかに人生を楽に豊かにするために必要なものか、ということがよくわかった。

セルフ・コンパッションとは直訳すると「自分への思いやり」。
その核となる構成要素は以下の三つです。

・自分に優しくすること
・共通の人間性を認識すること
・マインドフルネス

これだけ見てもよくわからんですね。

例えば何か失敗をして落ち込んでいるとします。
私はまさにそのタイプなのですが、自分を責めて自己嫌悪に陥ります。
なんであんな失敗をしたんだ、もっと上手くやれたんじゃないか、ああすべきだったんじゃないか、自分はなんてダメなんだ、とくよくよして自分を責め立てます。
ますます嫌な気持ちになります。
何日も引きずります。

しかし、自分を責めることは百害あって一利なしだそうです。
ではどうするか。

まず、「自分に優しくすること」。
失敗して落ち込んでいる友達を、あなたは「なぜもっとうまくやらなかったのか、なんてダメな奴だ」と罵って責任を追及しますか?
しませんよね。
友達を励ますように、思いやりの気持ちをもって自分に接するのです。

次に「共通の人間性を認識すること」。
つまり、人間誰だって失敗するという当たり前のことを思い出すということです。
常に正解を選び続ける完璧な自分なんてあり得ないのです。

そして「マインドフルネス」。
今ここに集中してそれを受け入れること。
自分が失敗して落ち込んでいるという現実をそのまま受け止めて、良いとか悪いとか判断を下さない。何とかしようとしない。
特に思考ではなく自分が感じている苦痛を身体感覚として感じること。

以上を踏まえて、失敗して落ち込んでいる自分に対してセルフ・コンパッションを実践するとしたら、私だったらこんな感じにする。

まず、落ち込んでいる気持ち、恥ずかしい気持ち、後悔する気持ちなど、自分が今感じていることを、判断や評価を交えずに受け止める。
頭の中の思考よりも「胸が締め付けられる感じ」とか「胃がムカムカする感じ」といったように、身体感覚に注目する方がありのままを受け止めやすい。

続いて、そういった苦痛を感じている自分に対して思いやりの気持ちをもって声を掛ける。
例えばこんな感じ。

「辛いよね。わかるよ。でもそんなに責めなくてもいいんだよ。絶対に100%間違えない完璧な人間なんていないんだから。とはいえ、責める気持ちって勝手に沸いてくるよね。消そうと思って消えるもんじゃないよね。わかる。すごいわかる。だから責めちゃう自分を責める必要もないんだよ。だって自分にコントロールできることじゃないんだから」

上手くいかなかったときに、自分自身から断罪され責め立てられるのではなく、こんな風に思いやりを持って励ましてもらえるってすごい安心感があると思いませんか。
この安心感を、他者に求めるのではなく、自分自身で与えることができるのです。
いつでも。どこでも。

本書には他にも色々とヒントになることが書かれています。

直観には反するかもしれないが、ほとんど変えられないのが、自分自身の頭の中で起きていることである。


好ましくない思考や感情を意識的に抑制する能力について、心理学者たちが無数の研究を行なってきた。その結果は明白である。私たちにそのような能力はない。

↑これなんかもう笑っちゃうよね。

ひどい気分のとき、手っ取り早く自分を落ち着かせて慰めたいと思ったら、自分を優しくハグしましょう。(中略)身体的接触がオキシトシンの分泌を促し、安心感を生み、落ち込んだ感情を癒し、心血管系のストレスを軽減することは、研究によって指摘されています。

↑これは最初はちょっと照れくさくて恥ずかしく感じるけれど、やってみると確かにホッとして穏やかな気持ちが生まれてくる。
日常的に続けて習慣化したい。

本書に書かれているこういったヒントから自分で編み出した慰めの言葉の中で、特に気に入っているのが以下の二つ。
また必要になったとき思い出せるように書き残しておく。

「人間とはしばしば間違いを犯す不完全な生き物で、私もそんな不完全な人間の一人にすぎない」
「私は私の苦痛を消し去ることはできないけれど、苦痛を感じている自分を抱き締めることはできる」

あと、気付いたときにいつでも「今、私の健康と幸せのために、思いやりをもってできることはなんだろう?」と自分自身に問いかける習慣をつけるのもいいと思う。

セルフ・コンパッションを必要な時に必要なだけいつでも発動できるよう、脳内の思いやり回路を強化する方法として、仏教伝統の「慈愛の瞑想(一般的には慈悲の瞑想と言われることが多い)」が紹介されている。
これは自分の幸せを祈るところから始まり、次第に対象を拡大していって、最終的に生きとし生けるものの幸せを願う祈りの瞑想です。

YouTubeには様々なバージョンの誘導瞑想動画があって色々聞いてみたのだけれど、私はどうも「愛する人」というフレーズが入っていると「そんなものおらんわい」という拒否反応が出てしまって合わなかった。
コメントを見ると同じように感じている人も多いようだ。
逆に、涙があふれたという人もいるので合うものを選べばいいと思う。

私は日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のバージョンが一番しっくりきた。
「自分」の次を「私の親しい生命」としているのがとてもいい。
「親しい」という緩やかさと、「生命」という範囲の広さがいい。
「愛する人」だと最愛のパートナーとか最愛の子供とかしかイメージできないのだけれど、「親しい生命」だったら、なんとなく一緒に暮らしている家族とか、たまにしか会わない友達とか、職場の同僚とか、近所の子供とか、部屋の観葉植物まで素直に対象に入ってくる。
そしてまた、そういう「何でもない」と思っていた対象により一層の「親しみ」を感じるようになるというおまけまでついてくる。

思いっきりコンパクトにまとめるとこんな感じ。

私が幸せでありますように。
私の親しい生命が幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
私の嫌いな生命が幸せでありますように。
私を嫌っている生命が幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。


嫌いな「生命」となっているのもいい。
嫌いな「人」だと具体的な顔が思い浮かんで嫌な気持ちになるのだけれど、「嫌いな生命」だとゴキブリとかが浮かぶので、嫌いな人の顔よりは拒否感が少ない。

そして私は今、スマナサーラ長老にハマって動画とか本を見まくっている。
心が弱っているとき、願望実現系とかについふらっと吸い寄せられてしまうことが度々あるけれど、結局真理って2000年以上前にブッダが解明していることなのかも、という結論にいつも戻ってくるのです。




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