SSブログ
二次創作Twitter ブログトップ

二次創作Twitterをやめて5カ月たった [二次創作Twitter]

二次創作Twitterをやめて5ヶ月経ちました。

今でも「村人」のことを思い出さない日はないとはいえ、ほんのちょっとずつ、「過去」として距離がとれるようになってきたように感じます。
当時から引き続き夢中になっている推しに飽きない限りは、全然思い出さない、という状態になるのは無理なんじゃないかと思う。
でも、「そんなこともあったなー」くらいに思える日は来ると信じたい。

創作の方は毎日楽しくお絵描きをしています。
いわゆる「自萌え」ってやつで満たされている。
交流Twitterをやめる前からそういう傾向はあったけれど、描き上げた絵を自分で眺めてニヤニヤするのがすごく楽しい。
ナルシストと言えばそうかもしれない。
でも得体のしれない数字に一喜一憂するよりずっと健全だと思う。
自画自賛って恥ずかしいこと、みっともないこと、とみなされているけれど、自己完結している限りは誰にも迷惑かけていないし、むしろメンタルにはめちゃくちゃいいような気がする。

技術的に追いつかなくてもどかしい思いをすることは多々あっても、色合いや雰囲気などの方向性が自分の好みと一番合致するのはやっぱり私の絵。
私より上手い人はごまんといるけれど、100%私の好みに寄り添ってくれるのは私だけだ。
これは料理に似ているかもしれない。
シェフの手によるレストランの料理はもちろんおいしいけど、一番自分に馴染むのは自分で作ったなんでもないおじやだったりする。

他の人の作品を見たいと思うことが全然ないわけではない。
でも、見たくないものが目に入ってしまうリスクを考えるとゾッとして、見なくていいです……とそんな気持ちはしぼんでいく。
他者からの刺激がないと井の中の蛙になってしまって成長しないというのはもっともなご意見。
とはいえ、上手い人というのは何も同ジャンルの二次創作者にしかいないわけじゃない。
そんな狭いところの刺激よりよっぽどいい刺激が外にはたくさん溢れている。
それに、これは私の印象、というか、もしかすると願望かもしれないけれど、同ジャンルの二次創作を大量摂取している人の作品より、二次創作とは直接関係のない別の世界をたくさん持っている人の作品の方が面白く感じる。
ただし、そういう作品が必ずしも数字を稼いでいるとは限らないのだけれども。。。

とにかく、私は今、二次創作物に関しては自前で十分満足できている。
はー、いいわぁー、と思いながら、何度も何度も自分が描き上げた絵を眺めてニヤニヤしている。
私さんの絵、大好き! もっと見たい! と思う。
そのリクエストにお応えするために、また次の絵を描く。
完全に自己完結している夢のサイクル。素晴らしいではないか。
とはいえ、誰かに見てもらいたいという欲もまだ捨てきれてはいないのだけれど。。。

今はだいたい週に1枚のペースで絵を描き上げて、ポイピクとTwitterの壁打ちアカウントに投稿。
基本的には投稿する時しかログインしない。
通知欄は見ない。
いいねやリツイートの数字すら見えないように画面を隠すことさえある。
投稿したその日は「いいねついたかな」と気になって見に行ってしまうこともあるけど、翌日になるとだいたいどうでもよくなっていて、次の絵のことを考えている。
これは我ながらいい状態だと思う。

Twitterに上げるために絵を描くのと、絵が描き上がったからTwitterに載せるのとでは、似て非なるものだとつくづく思う。
非なるものではあるけれどとても近いので、気付かぬうちにじわじわと前者に寄っていってしまうので気をつけなければいけない。
気を抜くといつの間にか「最近は等身絵ばかり描いてるから、そろそろちびキャラ描かないと(わずかに存在している気配のあるフォロワーに)飽きられちゃうかな」なんぞと考えていることがあってハッとする。
Twitterにあげるための絵を描き始めたら潔くアカウントは消そうと思っている。

交流関係を完全に切ってしまったので、新情報が出たときにあーだこーだ言える相手がいないのは正直寂しい。
だけどそれをお絵描きの原動力に転化して絵を描く。
らくがきでもいいから描く。そこにコメントを書き入れる。それをアップする。
割とそれで気が済むことが多い。
あとまあ、時間が経つとたいがいのことは落ち着くよね。

仲間と交流していた頃は、何か情報が出ると誰かにメッセージを送ったり一言つぶやいたりしてお手軽に満たされていた。
それはそれで楽しかったしオタクの醍醐味の一つではあったと思うけれど、今の「この情報について話したい!」という渇望を原動力にしてひたすら絵を描くのは、初心者の私にとって悪くない環境だと思っている。
とにかく描くことで練習になるし、メッセージのやりとりや深夜の通話で睡眠を犠牲にするより遥かに有意義な時間の使い方だ。

仲間とおしゃべりするの楽しかったな、と思うこともあるけど、その対価として支払わなくてはいけない「見たくないもの、聞きたくないものが入ってくる苦痛」を考えたとき、私は今でも迷わず「ぼっちオタク」を選択する。

この記事にも書いたけれど、私は作品そのものに嫉妬することはほとんどなくて、その代わり他の人がもらっている数字や絶賛コメントには激しく嫉妬した。

今私が思い通りのオタク交流関係を築けるとしたら、それはこんな感じ。
3人くらいのTwitterを介さないグループで、作品ができたら「こんなのできたよー、見て見てー」と送りつける。
そうすると「わー、ステキー。特にここのところがいいね!」といった感想がもらえる。
そういうのがいい。たくさんの人に見てもらいたいとか、いっぱい感想欲しいとか思わない。
得体のしれない数字や、もらえるかどうかわからない感想に精神を掻き乱されることなく、この仲間に送れば必ず見てもらえて、何かしら感想がもらえる、という安心感はすごくいいんじゃないかと思う。

見る立場からしても、積極的で前向きな気持ちで仲間の作品を見られる気がする。
TwitterでTLに流れて来たものって、たとえ仲良くしている人の作品であっても、さっと流し見てとりあえずいいね押して終わりになってしまうことが多かった。
作品そのものより、その下に付随している数字の方が気になってしまって、「なんでこの作品がこんなにいいねもらえているんだ?」なんて気持ちで粗さがしするような目で見てしまうことすらあった。

でもたまにDMで「これどう思う?」と送られてきたものは、特別好みの作品ではなくても、良いところたくさん見つけて伝えようと思って、拡大したりしてじっくり眺めていた。
直接顔を合わせていれば「この部分すごく綺麗だけど、どうやって塗ったの?」とか聞いたりもして、一つ一つの作品とちゃんと向き合えていたように思う。

毎日大量に流れてくる作品を流し見で消費するより、こういう閉じられた交流関係の方がずっと建設的な創作環境じゃないだろうか。
まあ、こじれたときはめんどくさいかもしれないけど、それはTwitterで交流してる場合だって同じことだ。

Twitterを介さないオタク仲間欲しいなぁ。。。
でもそれは今の世の中とても難しいことなので、私は「ぼっちオタク」の道を一人歩むしかない。

ブッダは「自らと法をよりどころとして犀の角のようにただ独り歩め」と説いたそうだけれど、これは二次創作にも適用できるのではないかと思う。

「自ら(の萌え)と法(原作)をよりどころとして犀の角のようにただ独り(オタクの道を)歩め」

神絵師の推し絵より遥かに尊い教えです。




コメント(0) 

嫉妬の対象には二つある [二次創作Twitter]

私はしばしば嫉妬心に悩まされる人間なので、その対処法について本やインターネットなどで見ることがよくあるのだけれど、「なるほどなー」と思う時と「なんか違うんだよなー」と思う時があった。
それを私は自分の器の小ささと紐づけて考えていたのだが、そもそも前提が違うんじゃないかということに思い至った。
たぶん嫉妬の対象には二種類あって、一見同じようで実はかなり性質の違うものなんじゃないのか。

どうしてもTwitterでの二次創作の話になってしまって恐縮なのだけれど、私にとって劣等感と嫉妬にもっとも苦しめられた場なのでしょうがない。
私の場合、他の人の作品そのもの、その人の才能や技術に嫉妬したことはほとんどなかった。
「この表現すごいなー」「さすが○○さんだな」「やられたー」と思うことはあっても、嫉妬するということはほとんどなかった。
その代わり、その人がもらっている数字や絶賛コメントといった「他者からの評価」には激しく嫉妬した。

よくある嫉妬心への対処法として「相手のすごさを認めて学びの糧とする」「目をそらさずに向き合う」というのがある。
このアプローチはおそらく相手の才能や技術、作品そのものに嫉妬した場合には有効なのだろうと思う。
注意したいのは、評価に嫉妬した場合はこのアプローチは機能しない。下手すると悪化する。

「嫉妬心は向上心がある証拠」という言葉があるけれど、これは前者の場合に限られると思う。
一方で、評価に対する嫉妬心は「認められたい」「すごいと思われたい」という気持ちに起因する。
これは持って生まれた性格や比較され評価されて育ってきた生育環境に由来するので、そう簡単になんとかできるものではない。
他者から評価されていることを「すごい」と認め、真正面から向き合ってしまうと、ますます評価されることの渦に巻き込まれて翻弄されてしまう。

これに対してできることは「まともにとりあわない」ということに尽きるんじゃないだろうか。
認められたいという気持ちは誰にもある。
なくそうとしてなくなるもんじゃない。
でも、まともに相手にすると増長する。
だから、相手にしないに限る。

経験上有効だったのは、まずは「見ないこと」。
これが基本だと思う。

それから、とある動画のコメント欄で知ってとても有効だと思った方法がある。
それは、心の中の幼児に「マ”マ”ーーー!!あ”れ”ほ”し”い”~~~ほ”し”い”よ”ぉぉぉ~~~!!!」と思いっきり駄々をこねさせること。
やってみると、なんだか自分がばからしくなってくる。
実にいい方法を教えてもらった。おすすめ。



コメント(0) 

二次創作Twitterをやめて3ヶ月経った [二次創作Twitter]

二次創作Twitterをやめて3ヶ月経ったので、自分の頭を整理するためにこれまでの流れや今の心境などを書いてみようと思います。

まず、二次創作に関してはTwitterをやめて以降、以下のような経過を辿った。

Twitterをやめる前日にたまたま絵の倉庫としてポイピクを始めていた

結果的にTwitterからポイピクへ移行する形となる

Twitterのつながりを若干ひきずったまましばらくポイピクをやっていた

色々あってポイピクもやめる

ブログを始める

ポイピクを再び始める

そして今に至る。
少し補足してみよう。

ポイピクはいい。
数字が一切表示されないので、フォロワー何人とか、いいねいくつとか、何にもわからないのがいい。
すべてが匿名なので「お付き合い」が発生しないのもいい。

よかったのだけれど……不思議なもので、最初はたった一つの絵文字にニッコリしていたはずなのに、少しずつ反応が増えるとその絵文字すら「数字」でとらえるようになっていった。

その他にも、Twitterの影響を完全に断ちたかったとか、求められること(文章)と楽しいこと(絵)との齟齬に困惑したとか、まあ色々あって、ポイピクも一度やめてしまった。

Twitterもポイピクもやめてしまうと、新しいコラボやグッズが発表された時にあーだこーだ言う場がなくなってしまった。
一方的にでも発言できる場が欲しくてブログを始めたら、これが結構いい。

何がいいって、誰も見てないのがいい。
たまにうっかり迷い込む人がいるだけで、アクセスはほぼゼロ。
いやー、気楽なのなんのって。
誰も来やしないんだけど、誰かが読むことを前提に書くからこそ、自分の頭の中も整理されてスッキリするので、非公開の日記ではダメなのよねぇ。

創作の方は、はっきり言って思いっきりペースダウンです。
それでいいと私は思っている。
やはり自分は創作欲ではなく承認欲によってお話を書いたり絵を描いたりしていたのだな、とはっきりわかったから。
そもそも私は20年近く二次創作なしで暮らしてきて特段支障はなかったので、私にとって二次創作は生活必需品ではない。
元に戻っただけだ。

人に見せるための創作はほとんどしなくなったけれど、絵の練習は地道に続けている。
ソフトの使い方の勉強とか、環境整備など着々と進めている。
お絵描き講座の動画を見ただけで満足して終わっちゃうことも多いんだけど。。。

Twitterをやめたことで、余計なものがボロボロと剥がれ落ちて、本当に必要なものだけが残りつつあるような気がする。
グッズも買うものと買わないものを冷静に選べるようになってきた。

少し前までは毎日のようにTwitterの「村人」のことを思い出しては嫉妬したり悔しかったりして苦しんでいたのだけれど、ここのところそれも減ってきた。
あれ楽しかったなぁ、と懐かしく思い出すことすらある。
それはきっと「村」の情報が一切入ってこなくなったことで心が元の位置に戻ったからなのだろう。
またやりたい、とは思わないし、もう二度とやることはないと思う。

別れた恋人を忘れるためには付き合った時間の三分の一の時間が必要、という話をどこかで見たことがあるけれど、それでいくと1年弱付き合ったTwitterのことを忘れるには4ヶ月近く必要だということになる。
9月にはさらに遠くから眺めるようになっているのだろうか。



コメント(0) 

二次創作Twitterをやめて二か月経った(仲間編) [二次創作Twitter]

二次創作Twitterをやめて二か月経ちました。
今どんな感じか自分のために整理してみたいと思います。

まず、二次創作Twitterの「村」に戻りたいと思ったことは一度もない。
思い出すことは度々ある。
楽しかったことや嬉しかったこともそこそこあったはずなのだけれど、思い出すのは嫉妬や劣等感を刺激することばかり。
これは元々の私の性格がそうだというだけのことかもしれないけれど……。
とにかく、やめなければよかったと思ったことは一度もなく、やめられてよかったとホッとする気持ちしかない。

二次創作の対象、いわゆる「推し」への情熱は薄れていない。
Twitterをやっていた頃は、他の人たちが上げる作品やグッズ写真やコラボカフェのレポートなどに変に煽られているところがあったと思う。
私も出さなきゃ! 私も欲しい! 私も行きたい!
欲望というものは自分の内側から生ずるというよりは外からの刺激によって発生するものだということをつくづくと感じた。
今は自分のペースで穏やかな気持ちで推しを愛でている。

もちろん、デメリットもある。
公式アカウントをフォローしているだけではグッズ情報やコラボ情報を取りこぼすことがあるのだ。
そこそこイタイとは思うけれど、やらないメリットを覆すほどのことではない。

結構しんどいのはおしゃべりする相手がいないこと。
あのグッズは可愛いけどちょっと大きすぎるよね、とか。
あの加筆された部分を私はこう解釈したがあなたはどう思うか、とか。
TwitterをやっていたころはDMや通話で気軽に話していたことが一切話せなくなった。

その時の仲間はどうしたかって?
Twitterをやめたと同時に縁を切りました。
共通の話題があまりないため、どうしても「村人」の噂話で盛り上がることが多く、Twitterをやめても同様に付き合っていけるとは思えなかったし、間接的に入ってくる「村」の情報で嫌な思いをする可能性が高くて、そうなるとやめた意味がなくなると思ったから。

交流の深かった数人には随分と前から「Twitterしんどいからもうあまり長くは続かない。ある日突然消えると思う」と言ってあったので、特に挨拶もしなかった。
「明日Twitterやめるかもしれない」としばしば言っていたので、「枕詞」と揶揄されることもあったけど、実際やめたので「やめるやめる詐欺」ではなかったことがこれで証明できたはず。

一人だけ、二次創作とは関係なく本の話などで盛り上がることができた人がいて、この人との縁が切れてしまうのはもったいないな、と思ってこちらから連絡を取った人がいる。
結論から言うと、やはりTwitterをやっていた頃のようにはいかなかった。
とても残念だけれど、仕方のないことだと思う。

当然、コラボカフェ等に一緒に行く仲間もいない。
これまでだったら仲間と一緒にキャッキャと楽しんでいただろうコラボカフェも、一人で行くとなると二の足を踏む。
私はおひとりさま上級者なので「ひとりじゃいけなーい」なんてかったるいことは言わないが、ああいうのはやっぱり仲間と一緒に行ってキャッキャと盛り上がればこそ楽しいものだ。
それこそが楽しさの大半を占めると思う。
仲間と行けば楽しいだろうけれど、一人で行くほどではないな、というものは潔くスルーすることにした。
一人で行って黙々と食べて写真を撮って……それでも行きたい!と思えるものがあれば一人でも行くさ。

ずいぶん淋しいデメリットばかり書き連ねてしまったけれど、それを補って余りある、心の平穏という大きなメリット。
これに代えられるものはない。

次回はTwitterをやめた後の二次創作について整理したいと思います。


コメント(0) 

二次創作Twitterをやめた [二次創作Twitter]

約一年前に始めた二次創作Twitterアカウントを昨日削除した。
別にスッキリはしていない。
見たくないのに見てしまったあれやこれやを思い出して今でもいや~な気持ちになる。
でももうそれらを見なくていいのだ、見せられることはないのだ、と思うとほっとする。

約20年前に足を洗った二次創作の世界にうっかり舞い戻って、うっかりTwitterアカウントを作って、小説もどきや絵を上げるようになったのは一年前の6月。
同好の士が集う「村」にデビューした翌日、それまで一度も二次創作Twitterの話などしなかった姉が、知り合いから聞いたという「オタクTwitter怖ぇ」話を突然するから驚いた。
なんなの、このタイミング。。。
私、昨日、約20年ぶりに二次創作再開しちゃったよ。。。
これは警告なのか。やめたほうがいいという警告なのか。
絶対そうだ。

姉が帰った後、昨夜から恐ろしくて見られなかったTwitterを確認したところ、予想外に多くの反応をもらってこれまた驚いた。
しかし今にして思えばこれが仇となったのだ。
ここでドーパミンがどばどば出てしまったのがよくなかった。

それから1週間、姉から聞いた「オタクTwitter怖ぇ」話に似たことを私自身が早速体験し、洗礼を受ける。
「ここは魔窟だ、早々に足を洗った方が自分のためだ」と何度思ったことだろう。
しかし私の脳内はすでにドーパミン中毒になっていた。
やめたほうがいいとわかっているのに、反応をもらう気持ちよさを捨てられなくなっていた。
段々と交流が広がって、オフで会うような知り合いもできて、楽しいことも増えたけど、一方でどんどんしんどくなっていった。

一言で言うと、見たくもないものが見えすぎる。
以下、恨み節で列挙する。

・自分より人気があって評価されている人や作品
・そういう人や作品への絶賛コメント
・とにかく数字。数字いらん。
・家族に関するツイート
・仕事充実してますツイート
・○○行ってきました!ツイート
・他の人の交友関係
・全然興味のないアニメや漫画に関するツイート
・ノリがついて行けないけど、付き合いがあるから見ないといけない人のツイート
・見るの苦痛なレベルで苦手な絵柄だけど仲良くしてるから見て褒めなきゃいけない人の絵
・正直あんまり興味ないけど、いつも世話になってるからたまには反応しなきゃ悪いよな、と思う人の作品

改めて眺めるとほんっとくだらない。ムダ以外の何ものでもない。
多少の波はあったけれど、楽しい三割、しんどい七割くらいだった。
どう考えてもやめたほうがいいんだけど、なかなかドーパミンを断てなかった。

でも色々あって、ついに昨日アカウントを消した。
Twitterを見たい、アカウント復活させたい、という気持ちはまったくないけれど、やっていた頃のしんどい気持ちは今も度々思い出されて憂鬱な気分になる。
完全に毒が抜けるまでにはしばらく時間がかかりそう。
SNSの利用が幸福度に及ぼす影響は数か月続くっていうからね……恐ろしいね……。

今後の心境がどう変化していくのか、注意深く見守っていきたいと思います。



コメント(0) 
二次創作Twitter ブログトップ