福岡・長崎の旅 4日目 [旅の記録]
【6月9日(火)】
長崎は今日も(また)雨だった。
本日は浦上方面へ参ります。
そろそろ疲れがたまってきて少々やる気がないですが、頑張って行ってみましょう。
今日巡るところは「疲れたー。めんどくさーい」とか言ってるのが失礼な場所ですからね!
今日は原爆被害の記憶を辿る旅。
関東地方の公立高校は修学旅行で広島・長崎に行くことが多いようですが、私の高校は修学旅行がなかったのでね……。
来たことなかったのですよ。
路面電車の松山町で降りるとすぐにあるのがこちらの公園。
原爆の爆心地です。
爆心地と言われると、地上に落ちて爆発するのかと思ってしまうのですが(私はそう思っていた)、実際は地上500mのところで爆発するそうです。
今の長崎の街を見ると、原爆で壊滅状態にされた場所だということを忘れてしまいそうになりますが、こういうのを見ると、改めてここが原爆被害の街だということを実感します。
そして原爆資料館へ。
いつもは人でごった返しているということですが、幸い、私が行ったときは人がほとんどいなくて、静かに原爆被害の記憶と向き合うことができました。
約15万人の人々が、たった一つの原爆の投下によって命を奪われる。
よくもまあ、これほどのおぞましい行為をやらかそうと考えたものだと呆れてしまう。
正気の沙汰じゃないね。
朝鮮人差別についての展示もあって、ある種の「配慮」を感じたりもしました。
最後、売店前の壁に展示されている「焼き場に立つ少年」の写真は必見。
10歳くらいの裸足の少年が、幼い弟か妹を負ぶって、唇をかみしめ、神妙な顔つきで気をつけをしている。
パネルの説明と共によく見てほしい。
日本人なら、日本人でなくても、一度は行くべき場所ですね。
展示を見終った後はカフェでひと休み。
長崎へ来たからにはカステラを食べるべし。
続いてお隣の長崎原爆死没者追悼平和祈念館へまいります。
ここはちょっとすごかった。
まさに祈りの場。
そのために作られた空間。
地下から地上へ伸びる12本の光の柱。
その正面に、原爆で亡くなった方々の名簿が収まった塔が建つ。
たまたま私が行ったときは他に人がいなかったこともあるかもしれないけれど、祈りの場特有の、圧迫感のある静謐さが空間に満ちている。
名簿の塔に向かって、ただただ手を合わせる。
何も考えず、ただ、手を合わせるのみ。
上の階から写した様子がこちら。
特定の宗教色を出さずに、こういう祈りの空間を作り出すのは並大抵のことじゃないと思う。
建物内には、あちらこちらに静かに水を湛える水盤が配置されて、水を求めて亡くなっていった人々の霊を慰める。
今回の旅で最も心を動かされた建物でした。
続きましては、浦上天主堂へ。
まあ別にどうということもない教会です。(失礼)
永井隆が住んだという「如己堂」を見る。
この二畳一間に子供と住んだという。
二畳はさすがに狭いと思うけど、なかなか居心地が良さそうな庵ではある。
最後は平和公園へ。
有名なこの像は思った以上にデカかった。
平和公園から電停へ行く途中に防空壕跡があり、これもなかなか興味深かった。
後にアメリカがこの防空壕内での被害について熱心に調査していったとか。
どの場所にいた人がどれほどの被害を受けて、どういう場所にいた人は被害を免れたのか。
核戦争に備えた核シェルターの研究のために。
アメリカにとっては、広島・長崎は垂涎のデータの宝庫だったことでしょう。
以上で原爆被害の記憶を巡る旅は終了。
長崎駅へ戻って、皿うどんを食す。
うまかったけど、体力の落ちている体には量が多すぎた。
再び、特急かもめに乗って福岡へ。
このあたりから、なんだか嫌な予感。
頭痛と吐き気の予感。
空港で時間があったのでマッサージを受けてみたけれど、効果なく……。
飛行機の中でついに発症。
うーん。。。
帰宅して、とりあえず、げぇぇーー。
旅行するたびに体調を崩す、この体力のなさをなんとかしたい。
以上、福岡・長崎の旅でした!
げぇぇぇーー。
長崎は今日も(また)雨だった。
本日は浦上方面へ参ります。
そろそろ疲れがたまってきて少々やる気がないですが、頑張って行ってみましょう。
今日巡るところは「疲れたー。めんどくさーい」とか言ってるのが失礼な場所ですからね!
今日は原爆被害の記憶を辿る旅。
関東地方の公立高校は修学旅行で広島・長崎に行くことが多いようですが、私の高校は修学旅行がなかったのでね……。
来たことなかったのですよ。
路面電車の松山町で降りるとすぐにあるのがこちらの公園。
原爆の爆心地です。
爆心地と言われると、地上に落ちて爆発するのかと思ってしまうのですが(私はそう思っていた)、実際は地上500mのところで爆発するそうです。
今の長崎の街を見ると、原爆で壊滅状態にされた場所だということを忘れてしまいそうになりますが、こういうのを見ると、改めてここが原爆被害の街だということを実感します。
そして原爆資料館へ。
いつもは人でごった返しているということですが、幸い、私が行ったときは人がほとんどいなくて、静かに原爆被害の記憶と向き合うことができました。
約15万人の人々が、たった一つの原爆の投下によって命を奪われる。
よくもまあ、これほどのおぞましい行為をやらかそうと考えたものだと呆れてしまう。
正気の沙汰じゃないね。
朝鮮人差別についての展示もあって、ある種の「配慮」を感じたりもしました。
最後、売店前の壁に展示されている「焼き場に立つ少年」の写真は必見。
10歳くらいの裸足の少年が、幼い弟か妹を負ぶって、唇をかみしめ、神妙な顔つきで気をつけをしている。
パネルの説明と共によく見てほしい。
日本人なら、日本人でなくても、一度は行くべき場所ですね。
展示を見終った後はカフェでひと休み。
長崎へ来たからにはカステラを食べるべし。
続いてお隣の長崎原爆死没者追悼平和祈念館へまいります。
ここはちょっとすごかった。
まさに祈りの場。
そのために作られた空間。
地下から地上へ伸びる12本の光の柱。
その正面に、原爆で亡くなった方々の名簿が収まった塔が建つ。
たまたま私が行ったときは他に人がいなかったこともあるかもしれないけれど、祈りの場特有の、圧迫感のある静謐さが空間に満ちている。
名簿の塔に向かって、ただただ手を合わせる。
何も考えず、ただ、手を合わせるのみ。
上の階から写した様子がこちら。
特定の宗教色を出さずに、こういう祈りの空間を作り出すのは並大抵のことじゃないと思う。
建物内には、あちらこちらに静かに水を湛える水盤が配置されて、水を求めて亡くなっていった人々の霊を慰める。
今回の旅で最も心を動かされた建物でした。
続きましては、浦上天主堂へ。
まあ別にどうということもない教会です。(失礼)
永井隆が住んだという「如己堂」を見る。
この二畳一間に子供と住んだという。
二畳はさすがに狭いと思うけど、なかなか居心地が良さそうな庵ではある。
最後は平和公園へ。
有名なこの像は思った以上にデカかった。
平和公園から電停へ行く途中に防空壕跡があり、これもなかなか興味深かった。
後にアメリカがこの防空壕内での被害について熱心に調査していったとか。
どの場所にいた人がどれほどの被害を受けて、どういう場所にいた人は被害を免れたのか。
核戦争に備えた核シェルターの研究のために。
アメリカにとっては、広島・長崎は垂涎のデータの宝庫だったことでしょう。
以上で原爆被害の記憶を巡る旅は終了。
長崎駅へ戻って、皿うどんを食す。
うまかったけど、体力の落ちている体には量が多すぎた。
再び、特急かもめに乗って福岡へ。
このあたりから、なんだか嫌な予感。
頭痛と吐き気の予感。
空港で時間があったのでマッサージを受けてみたけれど、効果なく……。
飛行機の中でついに発症。
うーん。。。
帰宅して、とりあえず、げぇぇーー。
旅行するたびに体調を崩す、この体力のなさをなんとかしたい。
以上、福岡・長崎の旅でした!
げぇぇぇーー。
2015-06-12 14:18
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