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反応しない練習 [本]

「反応しない練習」草薙龍瞬



2015年に出版されたベストセラー本。
アマゾンの神にずいぶんとお勧めされて表紙は何度も見たけれど、ベストセラー本はクソが多いからな、とスルーしていた。

しばらく前にこちらの記事で「現代人は快と不快の反復横跳びで疲れきっている」というのを読んで、まさにこれ!と思ったのがきっかけだった。
私はどうしてもTwitterのことを考えてしまうのだけれど、楽しい情報で得られる快と、見たくないものが目に入る不快、いいねやコメントをもらって気持ち良くなる快と、数値化された評価によって落ち込む不快……
この反復横跳びで本当に疲弊していた。

この本が売れた背景には、私のようにあふれる情報と数字での評価に反応し続けて疲れた人がたくさんいるということがあるのだろうと思う。

「慢」という仏教用語は他の本でも読んだことがあって、それはほぼ「承認欲」と同義だということも知っていたのだけれど、この本の中で「自分の価値にこだわる心」と表現されているのが私にはとてもしっくりきた。
そう、私は「私の価値」というものに必要以上にこだわっていて、自分には価値があるのだ、ということを一生懸命に確認して証明したくて、それが自分を生きづらくさせている。

優越感と劣等感は表裏一体のもので、それが何に由来するかというと、この「自分の価値にこだわる心=慢」な訳です。
私は自己肯定感が低く劣等感の強い人間で、自分より優れている人、自分より恵まれている人、自分より幸せそうな人に対して激しく嫉妬するのだけれど、たぶん同じように自分より劣っている(ように見える)人に対して優越感を抱いているのだろう。
優越感というのは気持ちの良いものだけれど、それが気持ち良ければ良いほど、劣等感も強くなる。
だって根っこは同じ「慢」だから。
これは苦しいよね。優越感を追求すればするほど、劣等感も強くなるんだから。

苦しみや悩みは自分の心が無駄に「反応」することで生まれている、というのがこの本の趣旨です。
じゃあどうすれば反応しないでいられるようになるのか、ということを原始仏教の教えにもとづいて日々実践できる方法として提示してくれます。
もちろん、一朝一夕に変われるものではないけれど、こういう方法がある、楽になれる道がある、ということは心を軽くしてくれます。

私はよく過去の出来事を思い出して嫌〜な気分になるのだけれど、私の中で「ふと浮かんだ過去の出来事とそれに対して生じた感情は、意味のある重要なものだから、まともに向き合って戦わなければならない」と思い込んでいた節がある。
だからそのことをグルグル考えてこねくり回していつまでも抜け出せない。
でも、ブッダの教えによれば、今、目の前にあるわけではない記憶は「妄想」に過ぎない。
その「妄想」に心が反応して「慢」や「怒り」が生じている。
浮かんできた記憶に「これは妄想だ」と気づき、そこから生じる感情に「慢だな」「もっともっとという欲だ」「怒りだ」と気づくことで、反応する価値のないものだと手放せるようになる。

なかなか気づけずにグルグルしていることも多いけど、「あ、妄想に反応してた!」と気づけるようになってきた。
日々これ修行と思って練習あるのみ。

ただし、「心をコントロールしよう」と思うのではない。
著者曰く、「心は求めつづけるもの」「心というのは、何かに触れれば必ず反応するもの」であり、心は本来そういうものだと理解することで不思議な心境の変化が訪れ、「人生とはそういうもの」というもっと大きな肯定が可能になるとのこと。
これはなんとなくわかる。
「なんとかしよう」と思うと疲れるし、なんともならないんだけど、「こういうもの」と心得れば、良い意味での「諦め」のような心境になり、そういう力が抜けた状態だといつの間にかなんとかなってたりする。

同じ著者のこちらの本も参考になります。



好きなことをやろう、生きがいを見つけよう、夢に向かって進もう、人は幸せになるために生まれてきたのです、といったようなメッセージに疲れ切った私は以下の文章でとても気持ちが楽になった。

「元気が出なくても、生きがいがなくても、それはそれで「心にとってはフツー」だということです」

そして

「心の渇き・苦しみから抜けてみれば、自分には他に何も必要なかったのだ、とわかります。ただ生きていればいいーーそう思えるようになるのです」

なれるといいねぇ。


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