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旅する本の雑誌 [本]

「旅する本の雑誌」 本の雑誌編集部編



「旅する本の雑誌」の特集に書き下ろしを加えたもの。
これは本なのか、雑誌なのか。まあどっちでもいいんだけど。

半分は本にまつわる旅ガイド。いろんな人がいろんな地域のプランを紹介してくれます。
古書店を巡る旅あり、小説の舞台を訪ね歩く旅あり。
もう読んでるだけでワクワクしてきます。
おおむね一人旅前提なのも嬉しい。
だって読書というのは基本的に個の行為だものね。

他にも本と旅に関するエッセイ、対談、文学館情報やお土産情報など盛りだくさん。
目的もプランもなく、今すぐ本を持ってのんびり旅に出たくなります。
でも結局、読もうと思って持ってきた本はほとんど開くことなく帰ってくることも多いんだけどね。
それもまたよし。
鈍行列車のグリーン車で知らない街を訪れて、ふらりと入った古風な喫茶店でぼんやり本を眺めたい。

装画も味わいがあっていい。おすすめです。


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Kindle Oasis買いました [本]

Kindleの最上位モデル、Oasisを買いました。



キャンペーン情報なし、8G、Wi-Fiモデルで31,980円。

登場当初は4万円したことを思えば随分値下がりしたと言えるが、それでも安くはない。
安くはないが、日常的に使うものにこそお金をかけることが生活の幸福度を上げる。
社内ニートの私は毎日Kindleで本を読む。
今まで愛用していたPaper Whiteもお手軽で悪くはないのだけれど、更なる快適性を求めて思い切って購入してみた。
結果、3万円の価値があるかどうかはまだわからないけれど、確かに快適度は上がった。
片手持ちがしやすくなったし、ページ送りボタンのおかげで指を動かすことなくページがめくれる。素晴らしい。
これで私は大いに本を読もうと思う。

先日、旧型iPhoneが値下げになったこともあり、3年使ったスマホをそろそろ買い替えようかと思っていたのだけれども、人類家畜化推進機器であるスマホに5万円を出す愚に思い至った。
私はすでに家畜化されていてスマホやインターネットなしではおそらくやっていけないのだけれども、それでもどこか諦めきれないところがあって、その諦めきれない部分で本を読んでいる。

夢中でスマホをいじっている人々の群れを見ると、映画「マトリックス」で発電源として接続されて仮想現実を生きる人間の姿が二重写しとなる。
我々はスマホを使うことで個人情報だけでなく、何か目に見えないエネルギーまで吸い取られているのではなかろうか。
それは恐ろしいような気もするし、それで幸せになれるならそちらに飛び込んでしまいたいようにも思う。

本当に完全なる夢を見せてくれて死ぬまで覚めないでいられるならそっちに飛び込んでもいいけど、今のところ、スマホの中には完全なる幸福な世界は存在しない。
スマホを見た後は妙な疲労感と謎の焦燥感が残る。
一方、似たようなデジタル画面であっても、本を読んだ後はそのようなことはない。
それは単に「本を読んでいればとりあえず大丈夫」という願望に近い思い込みに過ぎないのかもしれないけど。

スマホを見る時間よりも本を読む時間を増やしたいという希望を込めて、iPhoneではなくOasisを選びました。

……とかいって、来月あたりiPhoneも買ったりして。


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ある世捨て人の物語 [本]

「ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男」 マイケル・フィンケル



湖畔の別荘地の森の中で、27年間誰にも知られずに一人で暮らしていた男の話。
ノンフィクションです。

二十歳のある日、突然仕事を辞めて車に乗って旅に出て、そのまま車を乗り捨てて森へ入っていき、そして27年間、たった一人で森に隠れ住んでいた。
狩猟採集生活を送っていたわけではない。
近くの無人の別荘から食料や生活必需品を盗んで暮らしていた。

メイン州の冬は寒い。氷点下30度に達することもある。
飢えと寒さで死にかけたことが何度かあったが、男は森を出ようとはしなかった。
森の生活には完全な安らぎがあった。
瞑想したり、本を読んだり、盗んだラジオを聞いて過ごした。
寂しいと思ったことや、退屈だと思ったことは一度もない。

大多数の人間にとって、孤独は耐え難い。
隔絶された環境に長期間おかれると、精神に異常をきたすことも少なくない。
しかし一部の人間にとっては人々の中にいることが耐え難く、孤独が何よりの安らぎになることがある。

私の経験上、食べ物と本さえあれば、一日中家にいて誰ともコミュニケーションをとらなくても、1日はどうということもない。
しかし3日くらいするとさすがに人恋しくなるような気がする。
森の中でのたった一人の暮らしは、アイデンティティが溶けてしまうという。
その境地にはちょっと憧れる。

27年間、誰とも会話をせず、「仕事」もせずに過ごしていても、男は高い知的水準を保っていた。
それは本を読んでいたということが大きい気がする。
社内ニートで人間関係アウェイでも、本さえ読んでいれば、とりあえずなんとかなる気がしてくる。
あとはこの部屋が森の中になればなぁ!



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読みかけの本 山盛り [本]

あれもこれも読みたいと思って買ってしまって読みかけの本がどんどん増えていきます。
しかし読了していないのでブログの記事が書けません。
今読んでいる本はこちら(放置している本含む)。

「百年の手紙――日本人が遺したことば」 梯久美子
安心の梯印。短いコラムの集まりなのでこま切れ時間にも読みやすい。

「白夜/おかしな人間の夢」 ドストエフスキー
光文社古典新訳文庫。もうちょっとで読了なんだけど!

「ブロックチェーン入門」 森川夢佑斗
IT系の仕事をしていたことがあったけど、そろそろついていけなくなってきた。

「世界史の極意」 佐藤優
最近、どれ読んでも同じに見えてきた。

「伝奇集/エル・アレフ」 ボルヘス
二本立てなんだけど、どうも私には良さがわからないので伝奇集を読了したら終わりにしようと思う。

「旅する本の雑誌」
本のような雑誌のようなガイドブックのような。本と旅とコーヒーはとても親和性が高いです。

「太平記」 角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス
読みかけっていうか、放置。あと2年くらいかかりそう。


この他に読みたい本リストがまた膨大にあってとても読み切れません。
社内ニートでも限界はあります。



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「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 [本]

「「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔」 森達也



全員の死刑執行が終了したこのタイミングで今更読むのもなんだか恥ずかしいような気がいたしますが、このタイミングだからこそと考えましょう。

一連のオウム事件の後、日本中がヒステリックにオウム叩きを続けている中で、できるだけ中立な立場でオウムの内部を撮影したドキュメンタリー映画「A」。
その過程を記したのがこの本です。

撮影を続けるうちに、著者はドキュメンタリーと言えども製作者の主観から逃れることはできないし、絶対的な中立はあり得ないと思い至るようになりますが、オウム批判でもなく擁護でもなくできる限りありのままの姿を撮りたいという努力は結実しているのではないかと思います。

外部の人間としては異例なほどの信頼関係を信者たちと築くことができた著者ですが、それでも最終的にはオウムの信者ではない者にとってオウムはどこまでも「わからない」のだ、という結論に至ります。

奇しくも読み終えたばかりの「ソラリス」と同じテーマであることに少々驚く。
私たちにはどうしても理解できないものがある。
その理解できないものを、排除したり破壊したり無理矢理ゆがめて理解したつもりになるのではなく、理解できないままで向き合うしかないのだ。

こういうものを読むと、一口にオウム信者と言っても一人一人は違う人間で、いろんな人がいて、それぞれに人権があるのだと改めて気付かされます。
一方でオウムが起こした事件の数々に目を向ければ、隣人として受け入れられない気持ちもわかる。
とても難しいです。




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ソラリス [本]

「ソラリス」 スタニスワフ・レム



もう長いこと、おそらく10年近く、読みたい本リストに入ったままだったSFの大御所をようやく読みました。
難解だとあちこちで見たのでなかなか手が出ず、恐る恐る読み始めたところ杞憂であった。
ミステリのようなサスペンスのような謎と緊張感。
ソラリスのステーションで一体何が起こっているのか。
「あれ」の正体は何なのか。
ちゃんと筋があって面白いじゃん。
ボルヘスの「伝奇集」よりよほど読みやすいじゃん。

そうやって油断したところで挿入される、ソラリスの海の生態(?)に関する詳細な描写。
そしてこれまで行われた膨大なソラリス研究の紹介。
ね、眠い。。。
これこそがこの作品の味わいであり魅力であるのかもしれないが、正直言ってどうでもいい。
話の筋には直接の関係はなさそうだが、飛ばすとこの先理解できないかもしれないという不安から我慢して読む。
ドストエフスキー作品における「大審問官」とか「イポリートの告白」みたいなもんですかね。

ヒロインのハリーは、若くて美しくて情緒不安定で男に頼り切っていてただ愛のためだけに存在するファム・ファタール。
男の人が読むとグッとくるのかもしれないが、女の私が読むと「あー、ハイハイ」とげんなりする。

と、なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、面白かったです。
これで「ソラリスね。海が人間の理解の範疇を超えた巨大な一つの生命体になってる話でしょ」とわかったように言えるのがうれしいです。

人間は人間的、地球的な認識の枠を超えて理解することはできず、自分の理解の枠組みの外にある、どう頑張っても理解できないものが存在しうる、というのは私も以前から考えていたことです。
地球外生命体の話が出てくるといつも思うのが、そこで前提とされるのはあくまで水と空気を必要とする「地球的」生命体であって、ものすごく狭義の生命である、ということ。
この広い宇宙にはなんらかの活動をする存在があってもおかしくないけれど、それを人間が「生命」として認識できるとは限らない。
地球の外に「地球的」生命を求める思考は、とても一神教的思考だなぁ、と思います。

あちこちで引き合いに出されるSFの名作。
読んでおいて損はありません。


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本を遊ぶ [本]

「本を遊ぶ」 小飼弾




ここのところ一人部屋社内ニート時間が長くて、ひたすらKindleで本を読んでいます。
インターネットをダラダラ見続けるよりはよほどましだとは思うのですが、それでもやっぱり「こんなことしている場合じゃないんじゃないか」という焦燥感が生まれます。
そこで、とりあえず本読んでりゃいいんじゃないか、と思えるような本を読もうと思い、以前から気になっていたこちらの本を。

中学2年生の時に学校へ行く必要を感じなくなり、図書館の本を片っ端から読んで15才で大検を受けて合格してアメリカの大学へ留学するという独学の達人。
一年で5000冊読むそうです。
「年間たかだか1000冊しか読んでいないとなれば云々」とか書いてあったりして、年間平均50冊の私なんぞはこういう人から見たら「本を読まない人間」なんだなぁ、とちょっと寂しくなります。
まあ、この人が異常なんだけど。

この本の中で筒井康隆を名文家、日本語の宝と褒めちぎっていて、断然読みたくなった。
私は「虚航船団」しか読んだことがなかったので多数ある作品の中でどれを読んだらいいやら目移りしてしまって、結局、これ読んでないと話にならないんじゃない、というくらい有名な「時をかける少女」をひとまず選択。Kindle版が安かったし。



へえー、こういう話だったんだ。
少年少女向けの短編小説です。
昭和51年発行。私まだ生まれてません。
当然、登場人物の名前も、話し方も、時代を感じます。
まあ読まなくてもよかったかなという気もいたしますが、ここまでの有名作品となると教養の一部として読んでおいてもいいかもしれません。

社内ニートは今日も本を読んで過ごします。



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日本のいちばん長い日 [本]

8月になると昭和の戦争に関する本をなにか1冊でも読まねばという気になります。
今年は言わずと知れたこの本。

「日本のいちばん長い日」 半藤利一



昭和20年8月14日正午から翌15日正午の玉音放送までの24時間を詳細に追ったノンフィクションの名作。

二つの原爆投下、ソ連の参戦、ポツダム宣言の通達。
一刻の猶予もない追い詰められた状況の中、日本という国の消滅を防ぐために終戦という港へ泥船をなんとかして着けなくてはならない。
内閣内の意見の隔たり、天皇のご聖断、蹶起を企図する青年将校たち。
息詰まる24時間が展開します。

丁寧な取材によって、運命の24時間を詳細に再現した傑作です。
傑作であることは間違いないのですが、正直、一回読んだだけではよくわからない。
大量の人名が次々と出てきて、誰が誰やら、それぞれどういう関係やら。。。
当時の行政機構や軍組織、中枢主要人物についてある程度の知識を持った人はもっと面白く読めるのだろうけれど、そんな予備知識は一切ない私は、会社中の人を紹介される新入社員のような気持ちで読み進めました。
それでも十分面白かった。
特にクーデター発生後に宮中で地味に頑張る侍従たちがなにやらかわいらしくて応援したくなりました。

こういうのを読むと、歴史というのは本当に小さな偶然で大きく左右されるものなのだなぁと思います。
この小さな偶然が違う方へ傾いていれば、そもそも日本はあんな戦争を始めなかったかもしれないし、あるいは一億総玉砕を敢行して国が消滅していたかもしれない。
人生も似たようなものかもしれません。

映画にもなっているので近々観てみようと思います。
2015年のリメイク版ではなく、三船主演の方を。


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女官 明治宮中出仕の記 [本]

「女官 明治宮中出仕の記」 山川 三千子



読売新聞の「夏休みの1冊」という特集より。
明治天皇皇后両陛下の晩年に仕えた女官の手記です。
明治という時代といい、宮中という閉鎖空間といい、私にとっては完全に異世界の話。
短いエピソードの連なりなので、へぇー、と気軽に興味深く読めます。

お上のお目に入るところはすべて華族出身の高等女官が行わなければいけないので、力仕事も高所作業もこなします。
華族のお姫様(おひいさま)がシャンデリアに火を入れたり、朝顔に水を遣ったり、庭の臨時御座所を組み立てたりもするのです。

夏にはたくさんの西瓜が運ばれてきて「どなたさまも西瓜をお戴き遊ばせ」と振舞われます。
時には天皇の御前で賜りもののお寿司などを戴くこともありますが、必ず肘を膝につけたまま食べなくてはいけない決まりになっています。

私は明治天皇にも皇后にも何の思い入れもないけれど、崩御で人々が悲嘆にくれる様子を読むと、なにやらこちらまで涙が浮かんでまいりました。

両陛下崩御後、生家に戻った著者は昔の友達に会ったりもしますが、だいたいが子供づれで、とかく話を子供のことに持っていくので、なにか調子を合わせるのも難しく、親しさも薄くなったようにさえ思える、と書いてあるのは現代にも通じる女同士の関係の難しさですね。
ちなみにこの著者は当時としては珍しかったと思われる、ちょっとしたきっかけでお互いに見初めて結ばれた「恋愛結婚」をしたようです。

本郷恵子先生の書評もとても面白うございました。
ちなみに私のごひいきの加藤先生の夏休みの一冊はマルクス・アウレリウスの「自省録」で、自省録キタ!と嬉しかったです。


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津波の霊たちーー3・11 死と生の物語 [本]

「津波の霊たちーー3・11 死と生の物語」 リチャード・ロイド・パリー



日本在住20年以上のイギリス人記者が東日本大震災の被災地を取材し、大川小学校の出来事と、震災後に人々が語る霊の話を中心に書いた本です。
日本を深く理解したうえで、あくまで外国人の視点から書かれているので、日本への親しみや愛情がこめられつつも、少し距離をとって客観的に描かれているのがいい。
構成がまた絶妙で、話題が行きつ戻りつしながら層を積み重ねるように話は進みます。
それが、被災地の人々の多層的で複雑な心情とシンクロして見える。

一口に「被災者」と言ってもその状況はさまざまで、家は失ったけれども家族のだれも失っていない人と、家も家族も失った人との間にはどうしても心理的な隔たりができてしまう。
家族のすべてを失った人と、家族の一部を失った人との間にも溝はあるし、さらには家族の遺体がすぐに見つかった人と、いつまでも見つからない人との間にも格差が生じてしまうらしい。
それはとても切なく悲しいことだけれど、人間の、特に均質性を好む日本人の宿命であるような気がする。

「大川小学校の悲劇」は報道で概要を知ってはいたけれど、他にも多くの子供たちが亡くなっているわけで、これだけが特別な悲劇ではないんじゃないかと、正直、思っていた。
しかし、以下の数字を知って認識を変えた。
二万人以上がなくなった大震災だったが、地震発生当時に学校の管理下にあった子供たちの死亡者数は75人。そのうち、74人が大川小学校の児童だった。
これは確かに不自然な数字だ。
上の数字が示す通り、本来もっとも安全な場所にいるはずの子供たちが死んでしまったのはなぜなのか。
自分の子が死んだのは、天災のためではなく、人災なのではないか。
親がそう思うのはもっともだと思った。

取材の中で著者が出会った僧侶は、被災者の心のケアをする移動イベントを行うとともに、依頼されて「除霊」することもあると言う。
私は霊魂の存在には懐疑的なのだけれども、不思議なことというのは世の中にいくらもあるだろうなぁ、とは思う。
特に、「憑依」がとれた後に鼻からピンク色のゼリー状のものが出たとか、そういう話はとても興味深い。
人間の思考というのは脳の電気信号なわけで、強い思念がなんらかの形で残留して、他の人間に影響を及ぼすということはありそうだなぁ、と思う。

色々と考えさせられる本でした。


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