「幸福の泉」 [箱庭]
週末、なぜかしらんが、なんだかすごく幸せだった。
特に何があったわけでもなく、何をしたわけでもない。
ただ、東の窓を開けて、ぼんやりと空を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、わけもなく幸福感が自分の内側から溢れ出てきた。
理由なんてない。
あえて言えば、風が植物の葉を揺らすのがたまらなく嬉しかった。
【多幸感】 Wikipediaより引用
「多幸感(たこうかん、英:Euphoria)とは、非常に強い幸福感や超越的満足感のことである。脳内で、快楽などを司るA10神経のシナプス間に、幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが、大量に放出されている状態とされる。
愛情による至福感や、競技で勝利したときの陶酔感、オーガズムは、多幸感の例である。 また、多幸感は宗教的儀式や瞑想によっても生じうる。 特定の薬物の副作用として生じる場合もあり、また、精神や神経の疾患によって生じる場合もある。 高齢者が自然と感じるようになる幸福感も多幸感の一種とされる(老年的超越)。」
最後の老年的超越ってのが一番近いかもしれない。
あるいは精神や神経の疾患によって生じたものか。……そうなのか!?
この幸福感は今もまだ少し残っている。
お金があるからとか、家族がいるからとか、そういう根拠のある幸福感は、実は意外と脆い。
根拠のない幸福感は、しぶとい。
「だって、なんだか、幸せなんだもん」
根拠のある自信も、すぐに崩れ去ってしまう。
根拠のない自信は、手ごわい。
「だって、俺、すげーもん」
根拠のない幸福感や根拠のない自信は、一体どこからやってくるのか?
私は体から湧いてくるものなのだと思っている。
体の状態がそういうものを生み出しているのだ。
この週末、私は生理の3日目・4日目であった。
片山洋次郎先生曰く、この時期がもっとも骨盤が開く時期なのだという。
私のあの多幸感は、この開ききった骨盤から湧いてきたに違いない。
こんこんと湧き出る、幸福の泉。
汲んでも尽きせぬ幸福の泉が自分の中にあるような感覚。
それを箱庭で表現してみたのがこちら。
大きな木に抱かれるように建っているこの小屋に、私は住んでいます。
ううー、豊かだ。
私はこの箱庭に豊かさを感じるぞ!
もしこの幸福感が精神疾患からきているのであれば、気が狂うのも悪くないね。
特に何があったわけでもなく、何をしたわけでもない。
ただ、東の窓を開けて、ぼんやりと空を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、わけもなく幸福感が自分の内側から溢れ出てきた。
理由なんてない。
あえて言えば、風が植物の葉を揺らすのがたまらなく嬉しかった。
【多幸感】 Wikipediaより引用
「多幸感(たこうかん、英:Euphoria)とは、非常に強い幸福感や超越的満足感のことである。脳内で、快楽などを司るA10神経のシナプス間に、幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが、大量に放出されている状態とされる。
愛情による至福感や、競技で勝利したときの陶酔感、オーガズムは、多幸感の例である。 また、多幸感は宗教的儀式や瞑想によっても生じうる。 特定の薬物の副作用として生じる場合もあり、また、精神や神経の疾患によって生じる場合もある。 高齢者が自然と感じるようになる幸福感も多幸感の一種とされる(老年的超越)。」
最後の老年的超越ってのが一番近いかもしれない。
あるいは精神や神経の疾患によって生じたものか。……そうなのか!?
この幸福感は今もまだ少し残っている。
お金があるからとか、家族がいるからとか、そういう根拠のある幸福感は、実は意外と脆い。
根拠のない幸福感は、しぶとい。
「だって、なんだか、幸せなんだもん」
根拠のある自信も、すぐに崩れ去ってしまう。
根拠のない自信は、手ごわい。
「だって、俺、すげーもん」
根拠のない幸福感や根拠のない自信は、一体どこからやってくるのか?
私は体から湧いてくるものなのだと思っている。
体の状態がそういうものを生み出しているのだ。
この週末、私は生理の3日目・4日目であった。
片山洋次郎先生曰く、この時期がもっとも骨盤が開く時期なのだという。
私のあの多幸感は、この開ききった骨盤から湧いてきたに違いない。
こんこんと湧き出る、幸福の泉。
汲んでも尽きせぬ幸福の泉が自分の中にあるような感覚。
それを箱庭で表現してみたのがこちら。
大きな木に抱かれるように建っているこの小屋に、私は住んでいます。
ううー、豊かだ。
私はこの箱庭に豊かさを感じるぞ!
もしこの幸福感が精神疾患からきているのであれば、気が狂うのも悪くないね。
2015-06-01 15:24
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