思考のレッスン [本]
「思考のレッスン」 丸谷才一
あまり本を読まなくなりました……と書いたそばからなんですが、久々の読書感想文です。
丸谷才一による、対談形式の思考についての講義。
なるほどなーと思うところもあれば、同意しかねるところもあり、
面白いなーと思うところもあれば、インテリすぎてついていけないところもある。
全体的に、私は丸谷才一がそれほど好みではないのだな、ということがわかった。
米原万里が「打ちのめされるようなすごい小説」と評した『笹まくら』読んだ時も別に打ちのめされなかったしなぁ。
読み手のレベルが低いからか?
丸谷才一もすごいんだろうが、聞き手もただ者ではない。
名前は出てこないけど馴染みの編集者と思われる。
「それは誰々が何々で主張したことですね」
とかスラスラ出てきて完全についていってる。すごい。
丸谷才一は読書に関する話の中で、全集読みを否定している。
「そういう義務的読書は読書の喜びの敵ですから」と。
一方で、現在読んでいる「鈴木邦男の読書術」では全集読みが大前提として推奨されている。
まだ出会っていないものの中にあなたの好きなものがあるかもしれない。それを発見できるのが全集読みだと。
どちらも一理ある。
うむむ。
折衷案として、とりあえず図書館にあるポプラ社の百年文庫を制覇することにした。
制覇することにしてからだいぶ経つけど、それっきりになっている。
最後に小学校一年生のこくごの教科書について書かれている。
ただ言葉を並べてあるだけで伝えたい思いがまったくないと。
そして、谷川俊太郎、安野光雅、大岡信が作ったにほんごの教科書の冒頭を紹介している。
ないたり ほえたり さえずったり、
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。
特になんということもない簡単な詩だけれども、これから教室でにほんごを習う小さな人が教科書を開いて最初に出会う文章をこれにしたいという詩人の想いに心が震えます。
頭の柔らかい子供たちが触れる小学校低学年のにほんごの教科書こそ、詩人が作るべきだと思いました。
あまり本を読まなくなりました……と書いたそばからなんですが、久々の読書感想文です。
丸谷才一による、対談形式の思考についての講義。
なるほどなーと思うところもあれば、同意しかねるところもあり、
面白いなーと思うところもあれば、インテリすぎてついていけないところもある。
全体的に、私は丸谷才一がそれほど好みではないのだな、ということがわかった。
米原万里が「打ちのめされるようなすごい小説」と評した『笹まくら』読んだ時も別に打ちのめされなかったしなぁ。
読み手のレベルが低いからか?
丸谷才一もすごいんだろうが、聞き手もただ者ではない。
名前は出てこないけど馴染みの編集者と思われる。
「それは誰々が何々で主張したことですね」
とかスラスラ出てきて完全についていってる。すごい。
丸谷才一は読書に関する話の中で、全集読みを否定している。
「そういう義務的読書は読書の喜びの敵ですから」と。
一方で、現在読んでいる「鈴木邦男の読書術」では全集読みが大前提として推奨されている。
まだ出会っていないものの中にあなたの好きなものがあるかもしれない。それを発見できるのが全集読みだと。
どちらも一理ある。
うむむ。
折衷案として、とりあえず図書館にあるポプラ社の百年文庫を制覇することにした。
制覇することにしてからだいぶ経つけど、それっきりになっている。
最後に小学校一年生のこくごの教科書について書かれている。
ただ言葉を並べてあるだけで伝えたい思いがまったくないと。
そして、谷川俊太郎、安野光雅、大岡信が作ったにほんごの教科書の冒頭を紹介している。
ないたり ほえたり さえずったり、
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。
特になんということもない簡単な詩だけれども、これから教室でにほんごを習う小さな人が教科書を開いて最初に出会う文章をこれにしたいという詩人の想いに心が震えます。
頭の柔らかい子供たちが触れる小学校低学年のにほんごの教科書こそ、詩人が作るべきだと思いました。
2018-12-07 15:42
コメント(0)
コメント 0